貧困OL日誌

毎月の貯金は2万が限界貯金0。ランチは280円の女の限界日誌

280円のナポと500円のスタバ

280円の冷凍ナポリタンが今日の昼飯だ。

高級タワマンやオフィス街の立地にある会社に勤める社員の昼飯は案外素朴なのだ。身の丈に合わない勤務地に馴染めない冷凍ナポリタンが電子レンジで熱したはずなのにひんやりして思えた。

PC紛失による返済が無くとも貯金を2,3万する為は280円のナポが限界値なのだ。

哀愁感満載でナポを頬張る社員を眺める経営者は一体どんな気分で観ているのだろうかと度々思う。因みにPC紛失による損害賠償13万程を一括で求めてきたのは代表だ。そんな代表は出勤の日にはほぼ毎日スタバを購入して自席で飲んでいる。経営者と平社員とでは生活水準と努力の量が違うのはもっともだが、味付きの水に500円払えるのなら社会情勢に見合う賃金が欲しいと思ってしまうのは致し方が無い事だと思って頂きたい。

午前中に見たネット記事にで一億の資産家が生きる希望が見出せない。お金があれば満たされるわけでは無いという内容を目にした。確かにお金で愛は買えないし、食べ物がハンバーグからフォアグラになったところでそれは幸せな生活とはまた別のベクトルの話だろうと私も思う。

けれども、お金があるからこそ生きる意味にフォーカスする事が出来ているのだ。生活苦のOLからすると幸せな悩みだと感じた。私もここ一年は着実に貯金が増えていく喜びを感じていた。その際文章が書けなくなっていた為、満たされていると心が乏しくなるという点に関しては合点がいく。

生きる意味と幸せは は日々生きる中で自分が定義づけしていくものなのだろうと思った。

全ての人が起こった出来事に名前をつけフォルダーを増やしていく中で後々振り返った時に幸せを見つけるのでは無いかと思う。

人は常に物事の完結を求めているのでは無いだろうか。幸せや意味は結末と同意なのだろう。

代表にも代表なりの人生のストーリーがあって結末を探している仲間なのだろうと考えると人間らしくみえ少し親しみが湧いた。午後も貧富の差と悲観的思考にめげずに乗り切ろう。

PC紛失1週間後朝編

木、金の朝は大体月曜から溜まった疲れと比例して床には服が散乱し、流しには洗い物が溜まっている。

一人暮らしを始めて早一年1人の生活には慣れてきたが、土曜の掃除は今だに慣れない。

私の勤める会社は22稼動の為、4月は6連勤が2セットだった。たった1日拘束時間が増えるだけで体力の余力なんてものは無くなる様だ。

4月末のPC紛失に伴い、精神的なダメージと弁償に伴う金銭的な余裕のなさも抱えている事を加味すると実にストレスフルと言えるだろう。

最近はもっぱら岸田の政策にもウクライナとロシアの紛争に対する記事を目にしてもなんとも思わなくなってきた。

人は自分の生活がギリギリだと外野で何が起こっているかなど一ミリも興味は湧かないものだ。

自分を取り巻く環境に目を向けられるのは現状になんだかんだ大した不自由がない人だけなのだと思った。要するに、政治に文句を言う人程それなりに充足した日常を過ごせていると言う事だ。

現に私も岸田の政策に対する憎悪をよく酒のつまみにしていた。

今は今日、明日をどう生き抜くかという重大な損失にしか焦点が合わない。

乱雑な部屋に積もる服と洗い物を横目に答えので無い対応策とリスクに思いを馳せては疲れ果て寝落ちする1週間だった。

政治に対する愚痴が吐ける程度には一刻もはやく財政復帰を目指したい。今日も9時間1セットの勤務を乗り越え1週間の勲章の様な乱雑な部屋に迎え入れられる。そしてまた、9時間1セットの明日を迎え入れる。何一つ希望がなくなってもなお生きようと呼吸を続けようとしてしまう。そんな自分が可愛くて憎いと感じる朝。

耐えよう、そして生き延びよう。

 

PC紛失の代償

2023年5月25歳の私は昨年入社したイベント会社でまだ勤務している。社会人一年目の初会社からはクビを切られ、2社目で働いた出版会社は不景気の影響をもろに受け飲食、通信といった様々な業種に手をつけてギリギリ息をしているような会社だった。その会社からは沖縄転勤か飲食店のホールスタッフの二択の人事異動を命じられ、飲食店に移動して2日で辞表を提出した。

3社目の現職はそこそこホワイトではあるものの設立からいくらも立っていないベイビー企業であり、30人規模で回している為、社長の一吠えで全体の流れが変わるような謂わゆるベンチャーとしての気質は設立から数年経った今も根強い。1年経つたびに失業していた私だが今回はクビの皮がまだ繋がっている。

ただし無傷でかといえばそうではない。

ADHDが大きなハンデとなっている。

落ち着きが無い為メールの誤字が多く、会社の入館書の紛失PCの紛失を一年以内に二度も起こしている。まだ在籍できている理由は私が成長したからとかいう理由ではなく、単純に会社が寛容なだけだろう。が、入社1年記念の1週間前にPC紛失により一括でPCの弁償満額を告げられた。

無傷では無いとは金銭面信頼共に傷だらけの状態ということだ。

ようやく貯めたなけなしの11万全て返済に消える事となった。

貯金とはざるに水を入れ続ける様なものなのかと思い始めた社会人もうすぐ四年目。

来月はボーナスが入るのでそれもまた一興。貯金総額は過去1となるという事で良しと必死に自分を言い聞かせている。

そして未だ見つかっていないPCによって情報漏洩の二次被害による損害賠償の発生リスクは消えていない。社会はADHDに優しくは無いという事が改めて見に沁みた。一年無傷で過ごせる日は来るのだろうか。

一年後に多額の借金を抱える結果になっていないことを切実に祈るばかりだ。

ザルに水な人生

2023年5月25歳の私は昨年入社したイベント会社でまだ勤務している。社会人一年目の初会社からはクビを切られ、2社目で働いた出版会社は不景気の影響をもろに受け飲食、通信様々な業種に手をつけてギリギリ息をしているような会社だった。その会社からは沖縄転勤か飲食店のホールスタッフの二択の人事異動を命じられ、飲食店に移動して2日で辞表を提出した。

3社目の現職はそこそこホワイトではあるものの設立からいくらも立っていないベイビー企業であり、30人規模で回している為、社長の一吠えで全体の流れが変わるような謂わゆるベンチャーとしての気質は設立から数年経った今も根強い。1年経つたびに失業していた私だが今回はクビの皮がまだ繋がっている。

ただし無傷でかといえばそうではない。

ADHDが大きなハンデとなっている。

落ち着きが無い為メールの誤字が多く、会社の入館書の紛失PCの紛失を一年以内に二度も起こしている。まだ在籍できている理由は私が成長したからとかいう理由ではなく、単純に会社が寛容なだけだろう。が、入社1年記念の1週間前にPC紛失により一括でPCの弁償満額を告げられた。

無傷では無いとは金銭面信頼共に傷だらけの状態ということだ。

そんなこんなでようやく貯めたなけなしの11万全て返済に消える事となった。

貯金とはざるに水を入れ続ける様なものなのかと思い始めた社会人もうすぐ四年目。

来月はボーナスが入るのでそれもまた一興。貯金総額は過去1となるという事で良しと必死に自分を言い聞かせている。

そして未だ見つかっていないPCによって情報漏洩の二次被害による損害賠償の発生リスクと共存している。社会はADHDに優しくは無いという事が改めて見に沁みた。一年無傷で過ごせる日は来るのだろうか。

一年後に多額の借金を抱える結果になっていないことを切実に祈るばかりだ。

シーツのシワと人生のシワ

数分前に「ブログでも再開したら?楽になるじゃない?貴方は何かを制作するのが向いている気がする」恋人から言われふと思い立ってこのブログに文字を打ち込み始めた。22過ぎの現在、近日のモヤモヤを晴らすつもりで先週の三四郎オールナイトニッポンをBGMにPC画面と向き合っている。

 

この一年何も考えずに社会に溶け込む努力をしていたような気がする。

心の黒く染まり切らない部分を残しつつ大部分を黒く染め心を犠牲にしつつも人生の修繕を行なっていた。考えないようにする癖がついていたせいかいざ書こうとしても意味を持たない単語の羅列にしかならない下書きだけが増えていた。書き出してみたはいいがどうにも的外れでどこにも辿り着けない不完全な塊となってしまう。そんな繰り返しだった。

 

ほとんど連日、日常の当たり前に紛れた一コマを切り取って文章を書いている人が居る。

私はそうはなれない。

思い立った時に画面に向かい下書きを放出しているタイプだ。

日記を日々のルーティンにしている一定数存在していて、そういった類の知人が私にも1人居る。昨日偶然その人のストーリーに抜粋したブログの記事が載っていた。

その記事で彼はシーツのシワに思いを馳せていた。シーツのシワと自身の人生を重ねる記事を見て私がが連想したのは顔の小皺だった。我ながらセンスのかけらもない想像力の乏しさを痛感した。年々乏しくなっている想像力を鍛え治したいと強く思った。私も彼のようにシーツのシワと人生を重ねられるくらいにブログに熱を注いでみようかと思う。

ブログについて

 

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幸せとは。

幸せって何なのだろう。

私の幸せは”変わらない居場所””愛し合える存在”この2つを見つける事。

今日も明日も私は大切な誰かの横で眠って目を覚ましたい。

ただそれだけで、私にとっては100億円宝くじを当てる事の数億倍の価値がある。

そしてただそれだけの事なのに、見つける事が私にとっては宝くじで100億当てるのと同じくらい難しい。

たまに、人はそれぞれ与えられる幸せと不幸せの分量は生まれてくる前から決められているのではないかと思う。

いつ何が起きていつ何を失っていつまで痛みが続くのか全て決められているそんな気がする。

 


そして私の人生における平穏に幸せでいられる期間を2年前に使い尽くしてしまっているような気持ちに襲われる瞬間が多々ある。

 

耐えても耐えても、積み上げ直してもある一定の期間を過ぎるとドミノ倒しのようにカラカラと音を立てて崩れ落ちていく私の日常たち。

第一志望の大学に無事に受かり、自分の学力の限界を突破してようやく私の新しい人生が始まると心躍らせて入学した大学では、生まれて初めて、自分の直感がこれだという物である、音楽の世界に出会った。

それからの日々はしばらく順風満帆で、人生で初めての心から好きだと言える恋人も出来た。

女の初めての幸せな瞬間と言える好きな男とのセックスも経験をした。

この頃が一番全ての武器を手にしていたような気がする。

目を覚ませば、新しい1日の始まりを告げる風が肌を優しく撫でる感覚に愛おしさを感じるほどには、

20年生きてきた中で一番心が生きていた。

けれどそんな温かい日々は長くは続かなかった。

これまでの幸せの代償と言わんばかりに不幸が重なった。

 


大学四年の最後の最後の卒業論文で、ドラマの世界にしかないと思っていた留年という壁に直面し、クレジットカードでライブのチケットを購入していた皺寄せで、ブラックリスト入りをした。

 


今思えばそこから私の不幸のターンは始まっていたのかもしれない。

その後、望まぬ失業を3年間で2度経験し、結婚を考えた唯一の男を音信不通で失った。

現代社会の闇を濃縮したような3年間を過ごしていた。

転職先の給料だけでは生活するだけで精一杯で貯金は毎月一万が限界。

 

諦めの中で見下ろす人生と未来に期待をしながら眺める人生は天と地ほどに差がある。

 


私のこれまでの人生、起承転結の転と結が良い方向性のものだった事がない。

 


これから書くのは、社会の闇という闇を濃縮したような数年を生き、幸せ迷子に陥っているそんな私が幸せを見つけるまでの赤裸々日誌だ。

 

2022/6/13

 

2018年からなんだかんだで投稿し続けてきた記事を全て下書きに戻した。

 

これといって特別な理由があったわけでは無いが、強いて言うのであれば、数日前に決まった転居が引き金だろう。

 

これまでとは違う形でブログも再開したくなった。

 

記事数は5年間で200投稿くらいだった。

これらの投稿の8割を占めていたのは学生時代の元恋人についてだった。

 

これまでの数年間、私の頭の中は記事同様に、恋愛が8割を占めていた。

 

けれどここ2年間私に色恋ネタは無くなっていた。

 

何もかも綺麗に見えていた頃とは違い何も無くなってしまった今、何を書けと言うのかとブログを開くたびに不快感とやるせ無さが襲ってくる事が増え、

そんな気持ちに比例するように、ブログの更新も日に日に減っていっていた。

 

それに加えて、最近の私はこれまで数年間通い続けていたライブにすら足を運べない程に切羽詰まっていた。

 

引っ越した際に老後の為の貯金がきちんと出来るよう、始めた土日のアルバイトに、平日はOL業。

オフはまるで無くなっていた。

 

そんな生活を続けていると、かつてのように恋にかまける気持ちにはどうしたってなれなかった。

まるでこれまで考えないようにしていた自分の在り方を考える時間といわんばかりに、恋愛と私の生活は切り離されていった。

 

そんな2年間の中で2度と幸せな恋愛ができなかったとしたら、私はどう生きたいかに思いを巡らすようになった。

そこで私が出した答えは、誰にも迷惑かけることなく誰も知らないところで昔の幸せだった頃の思い出の土地で、これから先の余生を生きることだった。

 

だから私は引っ越しを決めた。

そして1人になって、その新しい土地での日々を一から紡いでいきたいと思った。

今を生きている私の姿をそのまま残したいとそう思った。

 

5年間続けた投稿たちはたった30分で全て下書きに戻せた。

白紙に戻ったブログのトップ画面を見ていると、昨日の荷造りを思い出した。

5年間過ごした実家の私の部屋に無造作に積み上げられていた服もCDもレコードも段ボール5箱で綺麗に収まった。

 

思っていた以上に愛着のある物は少なかったのだ。

しまう物が少ないのはこれまでの自分が他者ばかりを見てきた証拠な気がした。

 

5日後には引っ越しだ。

何か変わるだろうか。

きっと何も変わらないだろう。

けれど変わらない部分は変わらなままでも良いのかもしれない。

 

のんびりと生きていこう。

なんていってもこれからの人生は私1人だけのものなのだから。

 

誰もいない代わりに染められずにあれる。それも悪くないと今日の私は少なくとも思っている。